免許取得後、初めて乗ったFIAT PUNTカブリオ、初代きいろい号

2001年、会社を辞めてフリーになった頃、大学時代の後輩から突然電話があった。「車いる?オレ今度アルファロメオ買うから今乗ってるフィアットいらないんだけど、欲しかったらあげる」と言う。いらないならもらおうか。もらうにしても駐車場を借りないといけないし、そもそも東京で車を維持していける自信もなかった。彼はいわゆる湘南のおぼっちゃんで、八百屋で野菜を選ぶように車を買う。当時、私はFIATもアルファロメオも知らなかった。

某日、彼はきいろいFIAT PUNTカブリオに乗ってやってきて、「譲渡の手続きとかやっといて」と、その派手な車を置いて帰っていった。もちろんタダだ。このFIAT PUNTOの話しがあった時、ちょうど吉祥寺の教習所で仮免を取っているときだった。そして、晴れて免許を取ってすぐ、このきいろいのがやってきたというわけだ。いきなりのオープンカー。

免許取りたてにしてFIATオーナーになった。きいろかったので「きいろい号」と名付けた。その車がそれはもうポンコツで、話には聞いていたが、やたら故障が多かった。「時々、信号でエンジン止まることあるから」って、どうしたらいいのよ。CVTの修理は約20万円だった。

窓が開かなくなったときは、イタリアから部品を取り寄せるだけで2ヶ月もかかった。修理代は約7万円。部品が届くまでは、高速の料金所でもわざわざドアを開け、足を一歩外に出して料金を払っていた。日本でETCのサービスが開始された頃で、この頃はまだ、高速料金を現金払いしていた。エアコンも壊れていて、窓全開で汗だくで運転していた。

車の修理は自分ではどうすることもできないので、当時はディーラーが提示した金額を支払う以外の選択肢はなかった。それが絶対的に正しいのはわかっているが、FIATと長年付き合ってきた今は、ウインドレギュレーターの交換なら部品だけ入手して、どこかの整備工場で安く交換してもらえないかなとか、あれこれ考えられるようにもなってきた。

幌が雨漏りするので、洗車するときは誰か一人が車内でバケツと雑巾をスタンバイしていないといけなかった。たかが洗車で大騒ぎだ。後ろの窓はプラスチックだったので、劣化して白く曇り、視界ゼロ。幌の交換は約20万円以上。サイドミラーとバックミラーだけが頼りだった。そのくせにハイオクしか受け付けないし、燃費も悪い。なんてやつだ。しかし、どこかかわいげがあって、なによりもきいろい号のデザインは美しかった。

動かなくなるその日までにかかった修理代で、恐らくそこそこいい新車が買えたんじゃないかと思う。それでも、きいろい号にはなるべく長く乗り続けていたかった。

初心者マークを付けたきいろい号の幌を全開にして、新宿、銀座、渋谷と東京の街を走った。よく電柱や標識にも擦ったり、音を立ててぶつかったりした。助手席の人は、乗り降りするときによくドアを壁にぶつけたりしたが、毎度のことなので怒る気にもならなかった。確かに私の運転も相当酷かったが、きいろい号はびっくりするほど「あ!」ということが多かった。アクセルを踏んだら「メリメリメリ!」と音がして、降りて見ると、助手席のドアに電柱がめりこんでいたりとか。きいろい号の傷は勲章みたいに増えていった。

電柱がめり込んだ跡

のちに紺色のミラーに付け替えられて、個性が増す!

ある日、信号待ちをしていたら、路地から飛び出してきた軽トラックがブレーキとアクセルを踏み間違えて、きいろい号に激突してきたことがあった。運転席のドアに思いっきりぶつかって、町が騒然とした。顔面蒼白の運転手に「もともと電柱にぶつけて凹んでるから全然構いませんよ」と告げて、走り去った。ぶつけた相手がきいろい号で、おじさんラッキー。

エンジン系の修理にお金がかかりすぎてもう手に負えないと話したら、出版社勤務の友人が「お金がかかろうともきいろい号に乗りたい。最後まで看取りたい」と言ってくれた。

2005/3/18、出版社勤務の友人と一緒に名義変更の手続きに行った。彼女はまず、雨漏りのする幌の交換を決意して、イタリアから新しいのを取り寄せた。2ヶ月待ち、3ヶ月待ってやっと届いたコンテナを開けると、なんと!コンテナの中は空っぽだったそうだ。イタリア人の仕事ぶりに感心してしまう。

2007/11/20、きいろい号が「アクセルを踏んでももう走らなくなった」というので、最後に会いに行った。アクセルを踏んで、うんうん唸るきいろい号にさよならを言った。友人は、傷だらけのきいろい号を最後の最後までかわいがってくれた。

FIATのエンブレムがとても気に入っていた。きいろい号のミラーがもげたとき、ディーラーに在庫があった紺色のミラーに付け替えてもらったと聞いた。まさか片方だけだったとは!

アンテナは折れていた。たぶん、私が折ってそのままになっていたのだと思う。幌だけは、友人がイタリアから取り寄せて張り替えたので、ピカピカだった。

傷を見ると、ああこれはあのときあそこでぶつけたやつだと当時のことを思い出す。ここまでボコボコのイタリア車を日本で見ることは極めて珍しいのではないか。しかしFIATの国、イタリアへ行けば、これはまだきれいな方なのかもしれないし、93年式PUNTOもまだ現役で走っていると思う。

きいろい号、とても美しくて愉快な車だった。

傷だらけのきいろい号。車のナンバーは「8938(ヤクザ屋)」だった!

ワガママで気分屋で故障の多いイタリア車につくづく懲りて、「もう二度とFIATなんか乗るものか!」と誓ったはずが、2008年にFIAT500の新型が日本に上陸するというニュースが!新型チンクエチェント!心が躍った。そして、試乗に行ったその日にサインしてしまった。今はFIAT 500に乗っている。

乗車期間 2001年 – 2005年3月
1993年式




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