耳下腺腫瘍 入院8日目(手術5日後 – 退院)

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退院の日。8:00に朝食なので、15分前に目覚ましをかけておいたが、その5分前に看護師さんに起こされた。病院食もこれが最後だ。7泊8日の入院は長かった。病院で過ごせば過ごすほど、体は回復しても、心が病んでいくようだった。

ホテルであれば7泊分の料金を支払うが、入院だと8日分の料金が発生する。つまり、個室36,000円なら36,000円×8日=288,000円かかる。今日は起きて荷物をまとめて退室するだけなのに、36,000円かかるのだ。納得がいかないがルールなので仕方がない。それに、退院日であれば医師の診察もあるのだろう。

荷物をすべてトランクに詰めて、9:00には退院の準備が整った。10:00頃、支払い手続きの担当者が来ますとのことだったので、ベッドに寝転んでじっと待つが、待てども待てども来ない。退院して最初の診察ついて、遅めの時間にしてもらえるように伝えていたけど、その返事がまだない。そもそも、今日は退院の日だというのに、医師の診察もまだだった。

10:30を過ぎてやっと看護師さんがやってきた。部屋の忘れ物確認をし、預けていた薬を返してくれた。私が持ってきて預けた薬なので、ひとつひとつ薬の説明をされても困ってしまう。そして、傷口が痛むときのためにと処方された痛み止めを差し出し「これいります?」と私に聞く。なにその言い方!なぜ私に必要かどうかを聞くの!痛む可能性があるからと出された薬じゃないのか。それを「いります?」って。「一応もらっておいてもいいですか」と受け取ったけど、「痛かったら我慢せずにこの薬を飲んでください」って手渡せばいいじゃないか。

「診察時間の確認はまだですか?」と聞くと、今日はまだ確認できる看護師に会えていないという。それじゃあ、いつその人と確認取れるのかと聞いても、ちょっと…という曖昧な返事しか返ってこない。私は昨日から確認しているのだ。このまま何時まで待たされるのか。「もう帰るので、あとで確認とって電話ください」とベッドから立ち上がると、「急ぎますか?」と急に慌て出した。急ぐもなにもいつまで待てばいいのか。帰ろうとする私を見て、ようやく診察時間の確認してきてくれた。すぐ確認できた。結局、やる気がないだけだった。

入院中、腕に巻いていた個人情報もそのままだったので「これ、取っちゃっていいですよね」と聞くと、看護師さんはようやくハサミを取り出した。言わなかったら付けて帰っていたと思う。自分で腕からスルッと外した。

ところで、今日は医師の診察はないんですか?と聞くと、「土日は回診がお休みなのでないと思います」と言う。回復の経過を確認してもらえないまま退院するとは思いもしなかった。私の体は土日関係ないんですけど。寝て起きて退院なら、昨日退院でもよかったんじゃないか。

切開した傷口は、テープが貼ってあり、黒い血が広がっている。このテープは取れたら取れたで構わないという。取れないなら、次回診察の2/9まで貼っておいてくださいと言うけど、3週間も貼りっぱなしで不衛生ではないのだろうか。ネットでは、日焼けに注意するとか、傷口のお手入れに使うテープについても書かれている。そのことについて聞くと、今の季節は紫外線に注意する必要もないし、切ったところは色素が濃くなりますが、日焼け止めを塗るようなこともしなくて大丈夫とのことだった。つまり、本当にほったらかしで構わないということだ。不安だ。

病室を出る私に、看護師さんは「もう帰って結構です」と言った。最後、それだけだった。「退院おめでとうございます」とか「よかったですね」とか「お大事に」とか、そういう言葉が一切なく、「もう帰って結構です」って。昨日から担当していた男性の看護師さんはいなかったので、「帰って結構」という看護師さんに「ありがとうございました」と伝えて、そのままエレベーターに乗った。本当は私に関わったすべての医師、看護師さんたちに「お世話になりました、ありがとうございました」と伝えたかったが、こんなにもさみしいさよならとは思わなかった。

コートを着て大きなトランクを持って退院する私に、すれ違う看護師さん誰一人として声をかけてはくれなかった。私の姿は見えていないのか?ナースステーションにいる看護師さんも皆、通り過ぎる私に誰も言葉をかける人はいなかった。悲しみを通り越して、震えるものがあった。うれしいはずの退院なのに、なぜ私はこんなにも悲しみに満ちているのだろう。

空いた病室にまた新たな患者さんが入り、回復して退院していく。その繰り返し。病院にとっては当たり前の「仕事」でも、私は人生で一度きり(だと思いたい)。心身ともに弱り果てた患者に対して、一言もあたたかい言葉をかけられないこの病院はどこかおかしいと思う。医療が大変なお仕事なのはわかるが、私は人間なのでこの対応には深く傷つく。

雨が降る中、タクシーで東京駅へ向かう。病院から大きなトランクを持ってタクシーに乗ると言うとことは、退院した患者だと言うことは察すると思うが、運転手はトランクを持つのを手伝ってくれない。そして、東京駅八重洲口にお願いしているのに、そこへは行けないから少し離れた場所に停車して、雨の中横断歩道を渡ってくれと言う。雨に濡れないように車をつけられませんか?と、GoogleMapの経路図を見せるも「そのルートは行けません!」の一点張り。「遠回りしてもいいなら、駅に車をつけられる」と、右折するところを直進したので、日本橋口で降ろしてもらった。「ここはバス乗り場じゃないですよ、八重洲口へ行くんじゃないですか?」という言葉は無視して下車した。もう放っておいてほしい。日本橋口から構内を歩いたほうが濡れないし早い。

東京駅構内は閑散としていた。そうだ、今は非常事態宣言が出ているんだった。地元へ帰るバスは乗客5人程度で発車した。田舎の風景。家では猫たちが待っていてくれた。1週間ぶりに触れるふわふわの毛触りが、とても懐かしく、少し新鮮で、なでるほどに病院での悲しさを忘れさせてくれた。

手術前は傷口が目立つのを気にかけて、髪を伸ばしたりしたが、その必要はなかった。傷口をじっと見る人がいても、それはそれで構わない。傷があってもなくても私は私。何も恥ずかしいことはない。手術をして大きな不安を払拭したからか、不思議と傷は気にならなかった。

夜、そっと頭を洗った。病院の狭いシャワー室と違って快適だ。鏡もあるので、どの辺まで触れていいのかも確認できる。あの鏡のない病棟のシャワー室では、傷口を確認できないまま、これからもたくさんの患者さんが不便を感じながら頭を洗うのだろう。

ずっと食べたかったフルーツ、ちょっと右頬にしみる。笑ったとき、顔が歪んでいるのがわかる。顔の右側はやっぱり反応が鈍く、麻痺している。左右対称に戻るには、まだ時間がかかりそうだ。

そういえば、入院前にPCR検査を受けたけど、検査結果を知らされることもなかった。入院できたということは陰性ということなのだけど、入院前に上京して検査料を支払って検査をしているだけに、結果はきちんと通知して欲しかった。

手術体験記などを読むと、固いものはしばらくやめるとか、すっぱいものも控えると書いている人がいる。そんなことは言われていないので、キウイ、パイナップル、肉類、なんでも食べてしまっているが、いいのだろうか。まあいいか。

手術は無事終わった。あの病院には、術後の診察だけは行くとしても、できれば二度と関わりたくない。後日、請求明細を確認すると絶食中の食事代も請求されていた。あんな簡素で冷たくマズイ食事を、食べてもいない分まで請求されたことは、ちょっと見過ごせなかった。病院に電話をかけると、「担当から絶食の連絡がなかったんで」と謝ることはなかった。この病院、最後まで不信感が拭えないままだった。

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